「頭の良さ」の「私の」解釈
「頭がいいってのにもいろんな頭の良さがあるからね、例えば記憶力がいいとか、すぐ何か閃くとか。だから勉強ができることだけが頭がいいってことじゃないよね」
個別塾でアルバイトをしているのですが、昨日の授業中に近くの席で同じくアルバイトの大学生が生徒にしていた話です。
個人的にその考え方には賛成しているので、頭のよさについて自分の考えを書いておきたいと思います。
そもそも「頭が良い」の意味はとても曖昧です。単純な頭の良さだったら頭の「形が」良いとか、顔が良いも入ると思います。
でもなぜか普通の「頭が良い」は頭それではなく中身の知能を表しますよね。
ちなみにwiktionaryでは
「知能が高い。道理がわかっていて頭脳が明晰である。」
とのことでした。「知能」という言葉も広すぎて結局よくわからんですね。
自分の考えとしては、「頭の良さ」は「記憶力だけが頭の良さではない」というものです。
ここでなぜ私が「頭の良さは〜である。」と明言せずに「〜だけではない。」という書き方をしたのかというと、私もよく分からないからです。記憶力も頭の良さに入るけどそれだけじゃないよねって話です。
頭の良さについて、記憶力だけではなく例えば問題や有事が起こったときに瞬時に未来を予想して判断できる判断力や、感情に振り回されず論理的な思考ができる能力、そのほかにも特に普段は「頭の良さ」として認識していない能力もそれに入ると思うのです。
例えば、ピッチャーが18.4404m先のキャッチャーミットまで豪速球でボールを投げて届けるというのも頭が良いということができます。ボールをキャッチャーミットに入れ込むという命令を出しているのは脳ですからね。
そう考えると、速い球も投げられないしそもそもボールを18m先まで投げることのできない永年体育の成績3の私はとっても頭が悪いのです。
小学校に入ってテストの点数が良いと頭が良いと言われるようになり、大学でもそんなことをいう人もいます。
先にも述べた通り自分は「頭の良さ」の正しい定義なんてわからないので、その人の解釈が「頭が良い=記憶力が良い」なのであればそれはそれで構わないと思います。
なので仮にテストの成績が良くて「君、頭ウィ〜ね!」とか言われても「いや〜たまたまだよ〜、うふっ」とか言って適当に受け流すようにしています。定義が曖昧な言葉について深く考えても何も生まれないしね。
おや、巨大ブーメランがこちらに向かってくるのが見えますね。