シンガポール旅行記#5
3日目の朝です!
ホテルの朝食を済まし、MRTでマリーナアットケッペルベイへ向かいます。
マリーナアットケッペルベイはマンションの名前なのですが、その構造と高さが魅力的です(建築の友人に連れられるまで知らなかったけど)。
微妙に反ってるのわかりますかね
写真を撮るだけで近くには寄りませんでした。昨日みたいに警備員さんに見つかっちゃうかもしれないからね。
最寄駅から再びMRTでHarbour front駅へ向かいます。
そう、次の行き先はセントーサ島です。アロハ。
セントーサ島へはHarbourfront駅内のvivocity3階にあるチケット売り場からMRTで行くことができます。6ドルくらいだったかな
陽気なおじさんが道案内してくれます。
セントーサ島に入ってからは3つの駅があるのですが、我々はまず一番奥の駅で降りて無料の巡回バスで島内を一周することにしました。
結果としてはバスは森に囲まれた道路ばかり行くので外の景色はあまり良くありません。みんな戻るまで寝てました。
セントーサ島にはいくつかアトラクションがあり、自分たちはセグウェイを体験することにしました。ただ次に乗れるのは3時間後ということで、とりあえず予約して1つ前の駅へ戻りました。ちなみにセントーサ島内ではMRTは無料で乗り放題です。
この駅の近くには大きくて水を吐かない方のマーライオンがいます。このマーライオンの中には15ドルで入れるので入ってみました。
卓越したカメラセンスにより小さく見えます
一階ではシンガポールの歴史映画が上映されました。
映画を見た後はエレベーターで一気に屋上やマーライオンの口へ上がります。口からは島が一望できるし、スタッフが記念撮影もしてくれます。ここでも日本人だとわかったのか、スタッフさんが「シャシントルヨー、ハイチーズ」と日本語で話しかけてくれました。まさかはい、チーズまで知ってるとは…
いい時間になってきたので先ほどの駅へ移動し、セグウェイ乗り場に行きます。
定員は5人だったようで、日本人3人と韓国人の男性、おそらくアメリカ人の男性と1組になってそれぞれセグウェイに乗りました。少しだけ練習の時間があるのですが、ほぼぶっつけ本番です。永年体育の評定が3だった私に乗りこなせるか心配でしたが、初心者でも乗れるようになっているのか、以外と簡単に進みだしました。漕がない自転車のような感じです。胸前まであるレバーを前に倒せば前進するし、後ろに倒せばバックorブレーキです。30分間だけでしたが常夏の中で風を切るのはとても気持ちいいものでした。次はバンジージャンプとかもしたいなーなんて。
今度はアップしすぎ。ちょうどいいのは撮れんのか
次回、水族館はやっぱ日本だよね編!
シンガポール旅行記#4
2日目の続きです。
博物館を出ると、暑かったです。
そこから東にあるバス停から、次は南洋工科大学へ向かいます。バスに乗る人はみんなSuicaみたいなカードでピッてするだけなのですが、我々はカードを持っていないし買い方もわからないため現金で払わなければなりません。さらに、シンガポールのバスは乗った時点でお金を払わなければならないのでいちいち運転手にいくらか聞かなければなりません。現金で払う人がいなすぎてたまに運転手からうざがられているような感じがしました。友人はイラが回っていたようですが自分は関わらなくていいだけましだと思っていたので楽でした。こんな性格だから低血圧でインフルエンザの予防接種も受けられなくなるのです。
大学の最寄り駅からは近くを通っていた大学生の後をこっそりついていく戦法をとりました。ちなみに南洋工科大学へ行くのは一緒に来ている建築専攻の友人が見たい建物があったからとか、初期の校舎が日本人の丹下健三さん(プリツカー賞受賞、主な建築物に東京都庁、広島平和記念公園など)が設計した建物をみたいとかでした。
大学は日本の大学と比べものにならないくらい大きいので地図がなければ一生たどり着きません。無事20分ほどかかって芸術学部の棟に着き、建築の友人はその建物登っていきました。もう一人と自分は疲れたので根本の方で一休みです。
偶然ですが去年訪れたアメリカの工業高校がほぼ似たような建物を近年立てようとしていました。
おなかも減ったので食堂でジュースややきそば的なものを買いました。二人が食べている間に自分は売店でTシャツでも買おうと思ったのですが、日用品しか売っていませんでした。残念無念。
先ほどのバス停→最寄り駅→MRT→little India駅 の流れでリトルインディアへ着きました。その名の通りあたりにはほぼインド人しかいません。この街には宝石商がたくさんいました。というのも通りのお店が金色のアクセサリーを並べたものだらけだったからです。なんかインドって金色のイメージがありますよね。
インディアの寺院の中は裸足でしか入ることができなかったので、自分は外で二人の荷物見張りです。なにやら中では激しい演奏が繰りひろげられていたようです。
しっかりお土産を購入して、今夜はホテル近くの市場?的な場所で夕食を食べることになりました。
Newton food centreに着くやいなやのどが渇いていたのでパイナップルジュースを買いに行きました。注文後にパイナップルを削り始めたので時間はかかりましたがこれだけフレッシュなジュースを飲んだのは初めてでした。あまりおなかは減っていなかったのでメインはナンを注文しました(それでも満腹になったけど)。
よく食べる二人の友人は大学でたべた焼きそばなど忘れているのでしょう、一人で三人分の料理を頼んでいました。フードファイターと旅行に来た覚えはなかったのに。
ここにも日本人は多かったようで、日本人らしき人と目が合うとお互い知らないのに「おっ(会釈)」みたいな感じになります。なんか安心するんですよね。
以上、二日目でした。
シンガポール旅行記#3
2日目です。
バイキングの朝食を食べて、今日はいきなりタクシーを呼びます。
向かった先はインターレイスです。タクシーの運転手はインターレイス・コンドミニアムと呼んでいましたが、要するにマンションです。まるでLEGOのように直方体のコンドミニアムが積まれた形をしています。
敷地に入って写真を撮っていると、警備員に住民でないなら入らないでくださいと注意されてしまいました。当たり前ですね、住宅ですもん。やはり観光客が敷地に入ることが多いのか、見ると警備員がたくさんいました。
その隣にはサザン・リッジズという、森に囲まれた空中回廊があります。ここでの感想はズバリ、暑いというものです。 飲み物の購入をしぶった私は友人の水を借りて命からがら森を歩きました。この旅行中、私の脳内メーカーの35%は「暑い」でした。夏バテなのか「食べたい」は2%、「飲みたい」が50%、残りは「食べたい」以外の人間三大欲求です。
サザン・リッジズから南へ進み、ラブラドールステーションからケンブリッジステーションへMRTで向かいます。
MRTは昨日から使っているのですが、要するにJRです。ただ、移動するときに必ずカードの積み増しをしなければならないとか、チャージする台が一駅に2個しかないのでひどく混む、というJRにはない不便さがあります。
ケンブリッジステーションから外に出るとそこはシンガポール国立大学病院です。そこからシャトルバス(1.5SPD)でキャンパス内へ入れます。 シンガポール国立大学は2018年のランキングでアジア1位の大学です。というだけあって、とにかく広すぎ、高低差ありすぎです。階段ばかりなので自転車などはおらず、せいぜい電動キックボードを見るくらいです。
シンガポールの街や大学ではママチャリやスケボーではなく、アクロバットやエクササイズのためのマウンテンバイクや、蹴らなくても進むキックボードをよく見かけました。
ある程度散策を続けた後、廊下を歩いていると日本語研究会の方々と遭遇したので、彼らが作った日本語のステッカーを買ったり、写真を撮ったりしました。日本人はいい人アピールができたのかと思います。
せっかくなので大学のTシャツを購入して、次はシンガポールの西側にある博物館と南洋工科大学へ向かいます。
いやー暑いですね。
博物館ではシンガポールの歴史や、よくわからない映画を見たり、軍隊の敷地へのバスツアーへ参加することができます。バスツアーは我々3人だけだったのですが、入り口では本物のアサルトライフルを持った兵士がいたり、訓練中の兵士を見たりすることができました。本物の銃を見たのは初めてだったので一生懸命何の銃か確認しようとしましたが、やはり観光のバスといえども通り過ぎる兵士全員がこちらを見てきて怖いのであまり目を合わせることができませんでした。
バスツアーの後に短い映画を観ましたが、内容はよくわかりませんでした(日本語字幕がない上に、途中で入りました)。
2日目、午後3時まででした。
灼熱のサザン・リッジズ
シンガポール国立大学のプール(プール撮って良かったのかな…)
軍の基地内の塔(入隊と卒隊で2度登るそう)
シンガポール旅行記#2
#2 ついにシンガポールについたよ!編
着いてチャンギ国際空港に入ってからすぐに気づいたのは暑すぎるということ。
今日の最高気温は35度 パーカーできた自分は頭が悪かった。
機内のCAさんはとっても丁寧 トイレがわかりにくくてもここよみたいな感じで笑って示してくれるし、ジュースとか機内食渡すときもsorry, thank you sir, みたいな感じ
比べるのは良くないけど某隣国の航空会社のCAさんとは段違い
換金してからバスでホテルへ
空港での換金は空港スタッフが「ニホンジン!イチマンエン!」と言って1万円単位でシンガポールドルに換えてくれるので簡単
自分は2万円分かえました。
ホテルに到着
チェックインのときのスタッフら丁寧かつフレンドリーにお部屋や朝食について説明してくれました。
フロアの角だったからかお部屋は広く眺めもよかったです。ただアメニティのボディソープが最初からほぼ入ってないんですよね、うーんって思ったのはそんぐらい、あとは満足でした。
荷物を置いて半袖に着替えてからすぐにベイフロント駅へ
建物の高さが本当に高い
中には金色のガラス張りのビルもありました。
シンガポールの街は日本と比べると横断歩道は少ないため信号がないところで横断するときがあるのですが、運転手はさらに慣れているのか渡たそうにしているとたまに止まってくれます。優しいですよね。
ベイフロントからマリーナベイサンズの方へ歩いていると、ホーカーズという巨大なフードコート?がありました。
気温30度の中でヒートテック、パーカーだった私は直前に駅のセブンイレブンで購入した烏龍茶と中華系のお店で3SPD(シンガポールドル 、1シンガポールドルは約83円)で購入したCrystal baoを食べました。
Crystal bao はシューマイのようにひき肉やネギが薄い膜(この膜は生春巻きの膜に近い)で包まれているものでした。baoは中国語で包むという意味らしく、感じでは「水晶包」だったと思います。
少し触れましたがセブンイレブンは私が訪れた全ての駅の地下にありました。中は日本のセブンイレブンより少し小さいくらいですが、全体的に価格は高い感じがしました。烏龍茶は2SPD(165円くらい)で、他は2.2SPD以上です。支払いは現金、クレジットカードのどちらでもできますが、必ずPINコードの入力を求められます。アメリカに訪れたときにはクレジットカード払いでもPINコードなしで決済してくれたり、領収証にサインするだけで済ませてくれることもあるんです。
食事を終えたのが19時40分くらいでした。
20時にマリーナベイサンズの前にある湾でレーザーショーが行われるため、急いでマリーナベイサンズへ向かいます。
20時のショーには間に合わなかったので21時の同じやつを見ることにしてマリーナベイサンズの中へ
ここで始めて日本人を見かけましたが、その後も最終日までたくさんの日本人と遭遇することになります。やっぱりシンガポールに渡航する日本人は多いのですね、道案内の看板やお店のメニューには英語、中国語、マレー語、日本語まで書いてあるくらいです。そしてほとんどのお店のスタッフは観光客が何人か顔を見るだけでわかるらしく、何か買うとおつりをわたすときに日本語で「ありがとう」と言ってくれることもしばしばありました。
マリーナベイサンズ散策後、華やかなブリッジを歩いてマーライオンのところまで行きました。
いやはや、マーライオンがいるであろう場所に黒い膜で覆われたプレハブがあったときには驚きましたね。 プレハブに貼られたマーライオンは工事中というプレートを見たときの方が3倍驚きましたけとね。
ということで次はマリーナベイサンズの背後にあるガーデンズバイザベイへ行くことになります。人工の木のようなものなのですがイルミネーションのおかげで約5分間隔で赤や青に変わります。なんでも屋根に伸びる枝がパイプになって雨水を捕らえ地下に蓄えたり、木の頂点に太陽光パネルが設置されていて夜のイルミネーションで使う電力を蓄えているようです。
なんだか光合成みたいですよね。
なんだかんだで23時までそこにいたのでホテルに着いたのは0時でした。
シンガポールで気をつけなければならないこととして、飲み物の歩き飲みが禁止されているので自動販売機はなく、コンビニも各駅のセブンイレブンしかないため水分をいつでも撮ることができるわけではありません。 しかし昼は30度以上になるので、飲み物をセブンで買ってカバンに保存を繰り返していました。もちろん飲むときは止まるか椅子に座って飲みます。(食べ歩きも同じく禁止なのでその分椅子や机は至る所にあります。)
ホテルの水道の水をペットボトルにためて冷蔵庫で冷やしておくのもいいかもしれません。
以上、1日目(#1、#2)でした。Crystal bao(右下)
マリーナベイサンズ
ガーデンズバイザベイ
シンガポール旅行記#1
シンガポールに3泊5日で旅行します!一回だけ飛行機で機中泊なので4泊ではないわけです。
1日目
・前日の20時のバスで福岡に0:25に到着
・福岡空港の中で一夜を過ごそうと極寒の中福岡空港へ歩くもしっかり閉まっていた。安心安全日本最高
・仕方なく15分かけて近くのネカフェへ
・最近約束のネバーランドを読んでいたので60話まで読んでから睡眠 現在3AM
・結局眠れず目を閉じたまま6:20起床
・福岡空港へ キャリーバッグを2人で転がす音が大きかったから周りのマンションの人起こしただろうな
・ネカフェ近くの橋の下にある川が不思議 人工の高いで高さかえてる 何のために? 単に川を深くするため? 水の勢いを増すため?
・6:45福岡空港到着 数分一階で待ってから3階の窓口へ 3人目と合流 モバイルwifiを取りに行ってから窓口でeチケットをもらって検査場へ 100g以上の液体は没収されるため綾鷹とおさらば
・福岡空港の57番ゲートで待機
福岡の気温は一桁だがシンガポールは最高気温33度のためうちに来ている服を何枚か脱ぐ
・9:15分から飛行機内へ
・機内に入る前のパスポートを確認する女性が中学3年生のときの同級生だったことにびっくり 相手から話しかけてきたから本物だった
・隣に座った男性も大学生ぽかったので話かけると隣の県の国立大学4年生であった
・自称英語ができない法学部らしい
・暇なので映画をみる
・福岡から直通で5時間40分くらい
次回 シンガポールについたよ編
機内食では久々のハーゲン
錬金術士がいたらいいのにね
私はアルバイトで塾講師として働いていたりするのですが、先日中学生に理科を教えていたところ、なぜか鋼の錬金術士の話になりました。つい去年鋼の錬金術師は読み終わったのでなんとか彼の話にはついていけたのですが、ホムンクルスってなんだっけ...ってな感じでした。ちょうど岩石、鉱石の授業をしていたので錬金術師はその名の通りもともとは金を錬成する人だけど金ってどうやっても作れないから~なんて言ってしまいましたが、ならそもそも金はどこでいつできたのだろうと思ってしまいました。
・あらゆる元素は宇宙の進化とともに生成されてきた。宇宙で金のような重元素が作られるにはこれまでは漸近巨星分枝と呼ばれる赤色巨星内で合成される過程(s過程)と、そのような巨大な恒星が寿命を終え超新星爆発を起こす過程(r過程)の両方で合成されると考えられていたが前者は中性子束が低いため反応断面積が小さくて重元素は生成できず、後者は爆発の際に発生したニュートリノが中性子を陽子にかえてしまうため、重元素は生成しにくいことがわかった。最新の研究では、強い重力によって中性子の密度が非常に高くなった中性子星が合体する過程で、白金や希土類(レアアース)といった元素とともに金も大量に合成される可能性が高いことが判明した。
・また、金よりも原子番号が一つ大きい水銀(原子番号80)の安定核種に中性子線を照射すると放射性同位体が生成され、これがベータ崩壊することで金の同位体が得られる。ただし、これらは安定核種ではない(放射能を持つ)上に、実用に耐えうる十分な量の金を求めるのなら長い年月と膨大なエネルギーが必要であり、得られる金の時価と比べるともちろん現実的でない。
シンガポールの歴史
大学生な私は春休みというものがたっぷりあるということで今回はシンガポールに行ったりします。訪れる国の歴史や文化をある程度頭に入れてから実際に見て、触れたりするとその記憶が消えにくいのです。てらてらてら
シンガポールの歴史
・7世紀ごろには漁村テマセックとして知られ、マレー半島の先端に位置しているという地理的条件もあり当時から様々な国の船舶が寄港していた。
・14世紀には中国の旅行家「汪大淵」による旅行記『島夷誌略』にも「海賊を生業とする住民が住み、外国船も寄港していた」ことなどが記されている。
・14世紀末にはサンスクリット語で「ライオンの町」を意味するシンガプーラという名称が定着した。
※サンスクリット語(梵語):紀元前5世紀から紀元前4世紀にパーニ二によってその文法が規定された。インドを含む南アジア、東南アジアで話される。般若心境として中国に伝わったほか、日本で使われているものとして「僧」「南無阿弥陀仏」「旦那」などがある。
・1819年1月、人口わずか150人程度のこの島に、イギリス東インド会社で書記官を務めていたイギリス人トーマス・ラッフルズが上陸。ラッフルズはシンガプーラの地理的重要性に着目し、1819年2月6日、当時島を支配していたジョホール王国より商館建設の許可を取り付けた。名称も英語風のシンガポールと改め、都市化計画を推し進めた。
・1941年に始まった太平洋戦争によってシンガポールは日本陸軍による攻撃を受け、「昭南島」として支配された。
・1963年、それまではマレーシアの一部であったが、その年の選挙において統一マレー国民組織とシンガポールの人民行動党の間で関係が悪化し、首相リークアンユーの合意のもとでマレーシアから独立した。
P.S.毎回話の脱線がえぐい気がする。